至近距離の幸せ

手つかずのままの文章に、”しあわせ”と書き込んだ・・・。 少し、少しだけ、ココロが半歩、歩いた気がした。
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作曲家列伝「井上大輔」



井上大輔。



旧名は、本名、井上忠夫。


何と言っても、ジャッキー吉川とブルー・コメッツだ。



その中で、ボーカルと作曲を担当した。


デビューの「青い瞳」から始まり、「青い渚」でブルコメが世間に認知され、


そして、最大のブレイクは、「ブルーシャトゥ」だ。



♪森と泉にかこまれて 静かに眠るブルーブルーブルーシャトゥー・・・♪


ボーカルの良さ、曲もさることながら、グループのハーモニーは抜群で、


他のグループサウンズとは一線を画した。



長髪が当たり前のGSにおいて、7・3分けの正統派により、


この年、紅白にも出場する快挙。

(当時、NHKは、GSは不良扱いで、出番はなかった。厳しい時代)



この歌の替え歌も大流行。


♪森とトンカツ 泉、にんにく・・・♪と、


大人から子供までが口ずさむ異常事態。


それほどまでに、爆発的な人気だった。


レコード大賞にも輝いたのだ。


その後も、「マリアの泉」。


「ブルーシャトゥ」同様、作詞家橋本淳とのコンビで、「北国のふたり」、


「こころの虹」、特に「草原の輝き」は、ロシア風で秀逸。


だが、ブルコメの独特の最後に高らかにハモル、


パターンが飽きられたが、


井上大輔ではなく、筒美京平の「さよならのあとで」が


起死回生のヒットを最後に、後にグループの幕を閉じた。




それからは、ソロとして、


これぞ、名曲中の名曲の誕生。


「水中花」を誕生させました。


阿久悠の作詞も良く、メロディが、ブルコメ時代とは違い、


演歌的で、味わいのある切ないメロデーは


業界では、絶賛でしたが・・・・


売れませんでした。



しかし、機動戦士ガンダムシリーズの主題歌「哀・戦士」がヒットし、


コカコーラのCM曲、「I FEEL COKE」は当時常に流れていました。




作曲オンリーでは、


ここに井上大輔ありを再確認させたのは、


シャネルズ、後、ラッツ&スターです。


「ランナウェイ」で、黒人風ミュージックで新鮮な風をおくり、


「め組のひと」は、この垢抜け感が受けに受け、


カラオケブームの初期に、よく歌われました。



葛城ユキの「ボヘミアン」は、♪ボヘミア~ン・・・♪


葛城のダミ声的な歌声が受けヒット。意外にも、作詞が飛鳥涼です。


何の縁かわかりませんが、不思議な組み合わせです。


渋くは、鹿内孝の「本牧メルヘン」。


阿久悠の「ジョニィの伝言」を彷彿させる詞が、切ないメロディに


ピッタリで、さりげなくヒットしました。



郷ひろみ、これぞ、郷ひろみの顔、「2億4千万の瞳」は、


そうです、井上大輔なのです。


このノリ!♪ジャパ~ン!♪のキメは、最高のクライマックス。


自慢の1曲です。



そして、フィンガー5に「恋のダイヤル6700」、「学園天国」も


たて続けてヒットしました。


後に、小泉今日子が「学園天国」を


キョンキョンワールドに仕立てました。



アイドルには、シブがき隊の「NAI・NAI16」、「100%・・・SOかもね」、


「ZIGZAGセブンティーン」、「処女的衝撃ヴァージンショック」もあり、


幅広い活躍です。



ミッチョンこと、芳本美代子の「白いバスケットシューズ」は


さほど売れませんでしたが、記憶には残ります。



さかのぼれば、フォーリーブスの「踊り子」も


忘れられません。



このように、ブルコメ外にも、


確実なヒットを放ち、GS出身で、


ここまで功績を遂げたのは、この人以外いません。



ただ、残念ながら、悲しいかな、



2000年5月、病気を苦に悲劇の死を遂げました。



でも、あなたの素晴らしい曲の数々は


永遠です。


ありがとう。
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【 2013/05/19 (Sun) 】 作曲家列伝 | TB(0) | CM(1)
GS世代の影の実力者
拝啓 よろしくお願いいたします。 日本のJ-pop史上、確かな足跡を残したのは間違いなくGS世代と言えます。この世代はおしなべて皆さんレベルが高くきちんとした音楽教育を受け、作曲もアレンジも堪能」と言う人たちが多かった。その才たる人物が「井上大輔=当時は忠夫氏」でした。所属していたブルコメは実力者が多く「小田啓義、三原綱木」等など現在も第一線で活躍できる人材が多い事でも証明されています。この井上大輔氏もやはり日大芸術学部出身で、きちんとした正規の音楽教育を受け、ポップスの世界の入った人ですが、やはりこういった人は強いのですね。ご自身の作曲でもかなりのアレンジも担当しており、その「弦の使い方」ひとつ採っても正規教育の成果を感じます。やはり基本ですね。ブルコメ等が高い評価を受けていたのも、やはり底辺の音楽技術面での基礎、バックアップがあったからだと痛感します。メロディメーカーとしてもアレンジャーとしてもきちんとした地位を築いた井上大輔氏。早すぎる自死は返す返すも残念でした。 敬具
【 2017/10/10 】 編集
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